ちょっとしたことを、
ちゃんとやる。

錢屋本舗本館とは

錢屋本舗本館は、コロナ禍を経て見つめ直した多様な価値観の発信をします。
そして、その価値観を共有、共感して繋がれる方々のコミュニティーをめざします。

価値観そのものは抽象的な言葉であって捉えどころのないものかもしれませんが、それらをヒト(交流)モノ(商品)コト(体験)を通じて取り入れ、日々の暮らしをより豊かなものにしていただきたいと思います。その豊かさは経済的な豊かさとは違い、失うことも減ることもありません。

減らないならば分かち合うことを提案します。
減らないどころか、その豊かさは共感の輪となって広がり増えていくはずです。
心の距離の近い人に囲まれて、その輪の中にいる自分はきっと幸せでしょう。

ローソクの灯を分てば、周りがどんどん明るくなっていきます。
何かの拍子に自分の灯が消えたとしても、周りが明るければ困らないし、また分けてもらえます。

錢屋本舗本館は、そんな幸せの灯のようなコミュニティーでありたいと思います。

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地域と錢屋本舗本館

錢屋本舗本館は大阪の上本町にあります。上町台地といわれる少し標高の高い地域です。 古代の大阪はこの上町台地以外の大部分が海底でした。西に大阪湾、東は河内と呼ばれる地域(現在の東大阪)で文字通りの内海、そこに張り出した半島状の地形でした。半島の先端が今の大阪城、根元は住吉大社辺りだと考えると、古代の大阪のほぼ中心が上本町にあたります。国土地理院のHPで閲覧できる最新のデジタル地図に標高を色で表した地図がありますが、それで見るとその様子が想像できます。

また、歴史的にも生國魂神社の社伝によると神倭伊波礼毘古命(かんやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)が東征の際に難波津(諸説あるが高麗橋付近と言われている)から上陸し今の大阪城がある場所に、日本列島の神霊とされる生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祭神として祀ったのが創建ということです。その後に、いったん南下しながら最終的には今の橿原神宮で神武天皇として即位されたのが日本の始まりとされています。生國魂神社の権禰宜が「日本の神話の終わりで歴史の始まり」と言っていましたが、古代の上町台地とはそういう場所です。

生國魂神社は大阪城築城の際に豊臣秀吉によって今の場所に遷座されました。上本町(6丁目)辺りは参道でもあり桃の名所でもあったようです。地名としては残念ながら残っていませんが、地元では上本町(6丁目)周辺の6町会を合わせた地域を桃ケ丘地区と呼んでいます。この話がしたくて錢屋本舗本館のエントランスには左右に桃の木を植えました。

文化、芸能の面では上本町界隈は上方落語の発祥の地でもあり、浄瑠璃の井原西鶴や近松門左衛門の墓所がり、歌舞伎などの舞台としても高津神社などもよく登場します。近代の文学では織田作之助の作品にもよく登場します。谷崎潤一郎の「細雪」は船場の商家が舞台ですが、その蒔岡家の本家は上本町です。ちなみに次男が分家として芦屋に居を構えます。上本町はそういう街でした。

昭和に入って近鉄の前身である大阪電気軌道のターミナル駅として栄え、戦後は闇市等も立った場所に商店群が生まれ雑然としながらも賑わいのある街であったようですが、昭和45年に奈良線が難波まで延長された後は通過駅となりました。ご多分に漏れずバブル期を経て商店街が廃れ、しばらくは寂しくもなりましたが街が変わるきっかけにもなりました。元々、古代からの陸地です。岩盤も強く高層マンションが建っては売れるようになりました。それらのマンションのパンフレットには「文教地区」と謳われています。有名私立学校も多く、公立の学区も良いと評判らしく、子育てに適した地域として人気があるようです。私もそうですが何代にも渡りこの地に住む方々も多く、生國魂神社の祭りや地域の地蔵盆などの伝統行事も大切に守る下町的な良さがあります。この下町の情緒と文化的な上質さを合わせもつ町が上本町です。

月刊ZENIYA & LIFE より

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